学校の先生の立場の変化

タイトルに「の」が多い・・・!

 

学校の先生という職業の立場の変化について、

先日祖母とお喋りしたのだけど、思ったことがあって。

 

私の祖父母、そのまた両親はみんな学校の先生(小学校とか、高校とか)。

昔は子供と同じ時期にがっつりお休みを取れたり、

宿直(日直?)の日は、子供と一緒に学校にいても問題視されなかったり、

ゆったりとした職業だったらしい。

あと、保護者の方に敬われる職業でもあったとか。

 

けど、今はそんなことないよね(;^^)

生徒は長期休みでも、先生は普通に学校にいるし、

学校に幼子を連れて行こうものなら

「公私混同だ!!」とバッシングされるのが目に見える…。

 

それで、なんでこんなに先生の立場が弱くなったのかについて、祖母は

「生徒の保護者に、先生と同等以上の高学歴が増えたから」

と分析。

たしかにね。

聞くところによると、祖母が中学生だった頃は、

同級生の女の子15人中高校に進学したのは祖母一人だけだったとか。

でも、今じゃ大学まで進学する人が過半数だもんねぇ(2009年で、50.2%らしい)。

(ただ、女性だけでみると2009年で44.2%と、半数に至らず。これは知らなかった…

短大も含めたら、過半数になりそうな気がするけど、どうだろう?)

 

でも、私はもっと違う原因があるのではなかろうか? と感じた。

いわゆる“モンスターペアレンツ”には、

日常的にビジネスの場にいる人が多いのではないかと。

なんでそう思ったかという理由は二つあって、

一つは「お金払ってるんだから」って言葉を最近よく耳にする気がするから。

私の父も、サークルのだいぶ上の先輩(妻子持ち)も。

「お金払ってるんだから、それで給料もらってるんだから、

しっかり教育活動しなさいよ」って気持ちからは、

先生を敬う心は生まれにくそう…。

 

もう一つは、私の母を見て。

母は大学(相当に有名な国立)を出て、数年働いて、

出産以降は専業主婦をやっています。

小学生の頃を思い返すと、母はびっくりするぐらい先生方に丁寧だった。

両親が先生だったから、ってのもあるかもしれないけど。

で、そんな母の口から「お金を払っているんだから」という言葉を聞いたことは

ただの一度もない。

 

だから、ビジネスパーソンが学校の先生と関わる機会が増えたってことが、

先生の立場が弱くなっている理由なのではないかなと思うのでした。

「保護者の高学歴化」から繋がっていることではありますが。。

 

もちろん、世の中にはどうしても尊敬できないような先生もいるけどね。

将来子供ができたら、私は先生にどういう態度を取るのだろう。わからないなー。

 

ちゃんちゃん。

一番恥ずかしいのって、

・その場しのぎで

・別に自分自身がやりたいと思っていることではないこと

をやってしまうことかもしれないな。

 

昔は、

「やりたいと思っていても、できていないのはかっこ悪い」

って思っていた。けど、そうじゃないよね。

やりたいことを達成するために、一生懸命に取り組んでいるのって、

無条件にかっこいい。

 

だから、今の私は最高にかっこ悪い。

修論のテーマ選びを失敗したとか、そういう次元じゃないよね。

意識の問題だったね。

 

就職は、どうだろう?

本当に、私がやりたいと思ったことだろうか?

そうだと信じてはいる。

叶うといいな…。

 

弟君は、かっこいいな。

「留学したい!」って思ってから、国内留学したり、英会話教室に通ったりして。

それが叶ってからも、今度は「国際協力に関する仕事がしたい!」って、

それを叶えるために、いろいろな活動をして。

 

研究室の先輩も動機も後輩も、みんなかっこいいな。

やりたいことをやってるんだもん。

私だけなんじゃ…その場しのぎの気持ちでやっているのは。

他にも、こっそりいるのかな。

いずれにせよ、みんな立派なテーマだなとは思うけど。。

 

それとも、自分で自分のテーマを恥ずかしく思っているということが

最大に恥ずかしいことなのだろうか。

***

テーマ選びって難しい。

思い返せば、小さい頃からここに躓くことが多かった。

最大のトラウマとして記憶に残っているのは、小3くらいのときの展示会。

図工か何かで、粘土か紙粘土かを使って何かをつくる、ってテーマだったと思うのだけど、それで私はなぜかウサギ? の何かをつくった。

そしたら、家に帰ったら母に

「他のお母さんたちが、何あれ? って笑ってたわよ」

と、怒って。

たぶん、母自身が相当に恥をかいたのだろうな。

とても申し訳なく思う。

けど、これは私にとって大変なトラウマになっている気がする。

 

いつからだろう。

私って、変なのかもしれない、って思うようになったのは。

 

やりたいことをやりたいようにやって、

堂々と振舞って、

陰ひなたなく生きたい。

研究の進め方

なんだか、結局わからないままだなぁ。

どうすればよかったんだろう。

研究テーマの決め方が、結局わからなかった。

 

もうちょっと、「こういう感じのことをやってみたいんですが」とか、

そういう相談の仕方ができればよかったのかな。

コミュニケーション能力が不足しているから、こんな感じになっちゃったのかな。

社会人になってからも、こういうことを繰り返しちゃうのかな。私。

 

修了はできるだろうな。

でも、配属が望みどおりにいくかはわからないな。

いけるといいのだけど…

 

一つ上の先輩のことを、ずるいって思っちゃう。

テーマ、ほとんど先生が考えてくれたんでしょう?

でも、一つ下の後輩も、なんだかいい感じに先生に相談できているし、

そう考えると、やっぱり私のコミュニケーション能力の問題のようにしか思えないね。

 

シミュレーションで探索するっていうのは楽しそうなんだけどね。

…がんばろ。

職種

最初はね、SEになりたかったんだ。

世の中をもっと便利にする仕組みをつくりたくって。

SEって便利な言葉だよなぁ。

システムの提案をするのも、設計をするのも、コーディングをするのも

みんなSEだもんね。

 

でも、IT専門の企業で働くのは、ちょっと違うかなって。

これはイメージでしかないのだけど、なんとなく、視野が狭くなりそうだなと思って。

…何を言っているのか、よくわかりませんな。

 

内定先の面接でも、やっぱりあんまりろくなことを言えた気がしないのに

内々定をもらえてしまったのは、なんでなんだろう。

テストの点がよかったのかな? 小論文がよかったのかな?

不人気部署への配属要員なのかなって、不安になっちゃう。

 

 

「考える意味のある悩みと、考えても意味のない悩みがある」

「同じ悩みをぐるぐるとしているだけ」

「悩むんじゃなくて、考えなきゃ」

「悩んだら、とりあえず人に相談してみるべき」

 

就活を通して、まわりの人に言われた、悩みに関するコメント。

どれも的確すぎて、ぐうの音も出ません…。

配属先

配属先未定のまま、内定承諾をしてしまった。

配属先によって、仕事内容が全然違うのに。

勤務地も、全然違うのに。

 

ネームバリューにばかり捉われた結果。

おバカな院生の、哀れな選択。

社員を大切にしてくれそうだというのはあるのだけどね。

結局「就職」ではなく「就社」をしてしまったね。

 

いろんな人に迷惑をかけながらの決意だから、

もうこれ以上方向転換はできない。

「自己責任」「自己判断」の重みを知ったのは、

就活を通して得た大きな経験の一つだね。

 

せめて、今後は後悔のない選択をしたいのだけど、

自分の気持ちがわからないという残念さ。

直観力? がない。

何をやってもそれなりに頑張れると思っているのが原因?

 

もうちょっと時間が欲しいけど、

いくら時間があっても変わらないのだろうなー。

はじめに

人生何度目かわからないけど(5回目くらい?)

日記を始めることにしました。

 

就職活動を通していろいろなことがあったので、

それを少しずつ書きだめていこうかなと。

まだ就活完了していないけどね。

 

私の場合、「就活を通して成長した!」というのではなく、

「就活を通して自分のダメな部分がたくさん露呈した!」

という感じかな(;^^)

 

焦ったり、凹んだり、たまに楽しかったり、後悔したり、

今も迷走しているけど、

とりあえず後悔だけはやめようと思った。

反省して、これからに活かしたいです。

 

そのための、過去を整理するための日記がこちら。

 

…完全に、自分ひとり向けだな。笑